週刊オクシーズ物語
01. プロローグ

【この物語は、アメリカはミシシッピー州のジャクソンシティの中のリトルTAKAOKAが舞台である。リトルTAKAOKAはアメリカでありながら、住人の殆どが日本かぶれで、日本人よりも日本の事を知っている不思議な街。そのリトルTAKAOKAで、歌も踊りもド素人の50代の女性3人組が、無謀にもステージデビューに挑んだ愛と涙と闘いの物語である】
(※以降本編ではリトルTAKAOKAをリトル高岡と記載)
プロローグ
ことの始まりは同級生バニー・サクラダのFB(フェイスブック)での発言だった。
『俺、リトル高岡レボリューションっていうバンド作ろうと思うんだわ』
リトル高岡レボリューションとは、 ノゾーミ・ジェニー・
ターマの3人が通っていたミシシッピー州立リトル高岡ジュニアハイスクールで当時の生徒会が掲げていたスローガンであり、
その頃このジュニアハイスクールに通っていた生徒ならば誰もが記憶に残っている懐かしいワードである。
リトル高岡ジュニアハイスクールはリトル高岡市内の中心部の子供たちが通う公立のジュニアハイスクールであるが、
伝統的に自由な校風であったことに加え、当時は特別教育実験校のようなものに指定されていたのか、
今思えば個性を伸ばす教育が随所に行われていた。そのひとつとして、週に数回、講堂の舞台を生徒に開放し、
自由にパフォーマンスを行える時間があった。また、お昼ごはんのあとにはステージ発表会なるものが生徒会の運営の元、
午後の授業なしで行われていた。中庭でのフォークダンスも各委員会が順番に主宰して毎週行われていたように思う。
講堂の舞台は、ギターの弾き語りやピアノ演奏、体操や空手の型の披露、ダンス、マンザイなど、
様々なパフォーマンスで日々賑わっていた。とくにここでバンド演奏をすることは生徒たちの憧れであり、
数々のバンドが結成されていったと記憶している。
そのおかげか、リトル高岡ジュニアハイスクールの同級生やその前後の年代の同窓生に音楽を今でも続けている人たちは大勢いる。その一人がバニーである。そのバニーが同級生たち数人で、あの懐かしのワードを冠したバンド
『リトル高岡レボリューション』をこれから作るというのである。メンバーはこのジュニアハイスクールの同級生のみ、
しかも演奏は同校の卒業生の前以外では行わないという『リトル高岡』しばりのこだわりようである。
それを読んだ同級生たちは一気に盛り上がった!
『なつかしい~!どんな曲やるの?メンバーは誰?
頑張って~~!私たち絶対応援するわ!』
『どうせなら応援団つくりましょうよ!
うちわ作ったり、ペンライト振ったりするよ!』
『いいね いいね~!ならば私たち応援団の会員番号 1番、2番、3番だわ~~!』
『こんなおくし~姉さんたちの応援団ができてレボリューションは幸せもんや!』
『ついでに後ろで踊ったり、コーラスなんかもやっちゃったりして~~(笑』
こうして運命の歯車はオクシーズの誕生へと向かうのである。